弱いとは?/ キャッシュワン
[ 1537] 弱い男が・・・ここにいた (夫婦終焉、別居と離婚へ) - livedoor Blog(ブログ)
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2週間前から来てくれる事をわかっていましたが、計画してどこかに連れて行ってあげようとかは全く考えませんでした。 ※ランキングはもう貼りませんのでひっそり埋もれて行くと思いますが、たまに更新致しますので、たまに覗いて頂ければつまらない僕の日常を更新してると思います 更新乙さん「・・・元気だせよ!」の言葉になんだか一瞬ジーンときました、本当です、ありがとうございました。 そしてテレビを見ながら、他愛もない会話をします。この時ものすごく幸せを感じます。たぶん夜の家での会話に僕が飢えているのでしょう。 そして朝、目が醒めた時に隣に子供がいる、子供が目を覚ませば「パパお腹すいた」と言われ、急いで朝ごはんを作ります。 「寂しい幸せ」と思うかも知れませんが、一緒に暮らしていたらこんな事で幸せを感じる事はなかったでしょう。 コメントについては僕がブログを立ち上げた理由がいろいろな人の意見を聞きたいと思っていたので、どんなコメントでも真剣に読みましたし、かなり参考になりました。たださすがに、リアルタイムに近い状態でブログの内容が近づいた時はコメントのの意見にかなり心が揺れた事は事実です。 そうなんです、学校だけは駄目なんです、それは他にも理由がありまして、妻の仲良かった友人(子供のクラスメートの母)とかにも会いたくないとの気持ちもあるんです。今はそちらの方が大きいかな。大人げないですが。 ついひとつき程前に、僕が誘い、4人で食事をしました(詳しくは書けないのですが、妻と会わなければならない理由がありました) 子供には近況の質問、妻とは事務的な話だけでしたが、前にも書いた通り子供の成長は驚くほど早いのですね。 その場ですぐに僕が出て行った時の過去を思い出しました。あの時の子供たちの幼さの感じと今日の成長は驚くほどでした。 僕 「そうかわかった、しっかり見てるから卒業証書授与の時に名前が呼ばれたら堂々と大きな声で返事してな」 当日の朝、時間に間に会うように自転車で小学校に向かった。だんだんと学校に近づくにつれ少し憂鬱になった(学校が見たくない) 体育館に入るとすでに父兄は着席していた。そして僕も一番後ろの席に座った。辺りを見回すと、1人で来ている親は以外と少なく夫婦そろって座っていた。 卒業式が始まり、入場の時、多くの親がビデオ、カメラを持ち出し、席から立ち上がり各々ちらばった。まばらに空いた空席のおかげで前の方に座っていた妻を見つけた。 長女の名前が呼ばれた、そして約束通り大きな声で返事をしていた。 長女は僕の約束を守ってくれて少しジーンとした。 長女と次女のふたりが幼稚園の卒園式の時、かなりのお母さんたちが泣いていたのを覚えているが、以外に小学校だと泣く人もいないのかと感じた。かくいう僕も感動という事もなかった。ただ、もう中学生か、早いなと強く感じただけだった。 Fさんは結構毒舌だが家族で遊びに行ったこともあり打ち解けていたが久しぶりだな以外にはつっこんでこなかった。(知ってるのかな) その時、Fさんの奥さんとも会った。僕を見るなりびっくりした顔をして小さな声で「お久しぶりです」と言ってくれた。この時点でFさんが僕の近況を聞いてこなかったのを理解した、全部知ってるようだ。 通路ではまだ卒業生たちが順番に教室に戻るためにごったがえしていた。そこに顔見知りの女の子がいたので長女はどこにいるか聞いてみると、「あそこにいるよ」と言われ指差す方を見てみると長女が笑顔で大きく僕に手を振っていた。 この瞬間に、今までまったくなんともなかった心が乱れた。そして僕も手を振り返して、仕事に向かうため学校を出た。 自転車に乗り駅に向かう途中に久しぶりの涙が出た、それは自分でもどんな意味の涙かわからなかった。ただ何故か泣いていた。 後から思えばその時の涙は、長女と別居する前に話した「また家族で暮らせる日が来る事を願っている」と言った事の実現が出来なかった事の思いと、次女も転校せざるを得ないのかとの複雑な思いからかなとも思った。 第三者から見れば僕は、優柔不断である、でも・・・こういう生き方(考え方)しか出来ない男なのだろうと思っています。 その夢は2005年4月の頃の夢。そして深夜3時頃に目が覚め、なぜか思い出し悔しくなり朝まで眠れませんでした。 翌日寝不足で仕事をして、またその夜、偶然に同じような夢を見ました。恐らく1年が過ぎたなと感傷に浸っていたので、そんな夢を見たのでしょう。ただ、ここ数ヶ月なんとも考えていなかったのに、その夢を見た後は悔しいという気持ちが残る嫌な夢でした、 2月のある日、何気に「次女が泊まりにきてくれないかな」と思い、まず長女の携帯に夕方電話をした。その時は電話にでなかった。 と約束をした。僕の中では、次女はたぶん泊まりにこないと思っていただけに拍子抜けした、同時にかなりうれしくなりその日まで待ち遠しかった。 そして当日、なぜか自分の子供なのに、次女を迎えにいくのにドキドキしていた。「家に行ったら今日はやっぱり無理」なんて言われないかと。 僕 「いつもお姉ちゃんばっかりだけど本当は2人で来て欲しかったけど、たぶん来ないかなと勝手にパパは思ってた」 次女 「パパは1人で泊まりにおいでって言ったことないよ、いつもお姉ちゃんと一緒においでってばかりで。Rは1人でも泊まれるのに」 うかつだった。確かにいつも長女と一緒にとしか言っていなかった。次女も、もう右左のわからない子供ではなかった。自分ひとりでも行動出来る年令だ。 当時住んでいた頃、毎日見ていた次女はまだ幼い小学1年生。妻との言い争いの時、どうしていいかわからずに悲しそうな顔をしていた頃の次女のイメージしかなく、別居後何度か会ってはいるが、僕には幼い子供としか見ていなかった。 そんな中僕は、離れて暮らしてる事をいいことに長女ばかりで次女に目が届かないのではなく届かせようとしていなかった事に次女の言葉で気づいた。 翌日、次女をつれ行楽地に行った。そしてまたいつものように時間が早く過ぎた。帰りの電車では最初から最後まで次女は寝ていた。 次女を家まで送り別れた後のアパートまでの帰り道、以前はよく涙が出たが、今は違った。なんか晴れ晴れしたような、うれしくも充実した気持ちでいっぱいだった。またいつでも会える・・・・その時を楽しみにしようと思った。 年が明けてもう間もなく2月になってしまいます。更新しなかったのは特に大きな変化もトラブルもなかったものですから。 昨年の終わり頃に僕の状況を知った義理の兄の息子と実家で偶然に会いその時飲んだのですが、気分転換にスノーボードに行ってみないかと誘ってくれました。僕は無理だと断ったのですが、弟が「兄貴はサーフィンやってたんだから大丈夫だよ」と言われて酔った勢いもあり「行くよ」と軽く返事をしてしまいました(翌日いい年してスノボかと後悔しました、サーフィンなんてちょっとしかやってないから。) しかしその3日後に弟から、1月行くからねと、電車の予約も入れたからと電話がありました。僕は「わかったありがとう」と言ったのですが心は「いやー失敗したな」という感じでした。 そしてつい先週の週末に夜行電車で福島県会津高原のスキー場に行きました。(電車とバスの乗り継ぎ、スノボー関係一式レンタル+講習の格安パック) 朝到着して寒くて眠い状態でしたが僕は緊張してました、そしてゲレンデを見て後悔してました(僕には無理だ)と。 弟とは別行動だったのですが、たまたま弟が僕をみつけて僕の滑りを見たらしく「さすがだね、やっぱサーフィンやってただけあってバランス感覚があるんだね」と感心してましたが、事実は違います。弟が休憩しながら滑ってるのに必死に僕は練習してたのでした。 その日、本当に何年ぶりでしょうか、僕は我を忘れて帰る時間まで、何度もリフトにに乗り、子供のようにはしゃぎました。 そして最後に弟が「最後に一番高い所で滑って帰ろうよ、兄貴は大丈夫だよ」と言われて「そだね」なんて返事をしてリフトにのってその場所に着きました。 いざ現地は・・・簡単に滑れるようになった僕はスノボをなめてかかりました。下を見たらとてもじゃないけど滑れません。怖い。 ただ降りるしかありません。恐る恐る滑りますが、駄目です。ブレーキすら出来ません、時間かけて緩やかな所に到着しても、さっきまで滑れてたのに恐怖心で滑れなくなってしまいました。 話は元に戻りますが、僕はこの日、無我夢中でした。なんて時間が早く過ぎたことでしょう。何も忘れられる時間がこの年令になって経験するなんて思った事すらありません。 疲れきった帰りの電車で弟は眠ってましたが、僕は眠れず考え事をしてました。この日を作ってくれた弟にありがとうの気持ちでした。 言い訳じみますが僕は転職してから家族に「無我夢中」にさせられるような旅行などつれて行ってあげていません、気持ちの余裕もありませんでした。買ったばかりの家の維持と生活の為の為しかなかった。 あれからは特に僕は何も言ってはいないのですが、長女も次女も同じように今でも友達には説明してるようです。 子供は2人とも、僕らはもう完全に駄目だと言う事も充分わかっていると思います。それでも友達にはごく普通の家庭をよそおっています。 僕の勝ってな気持ちからすると今となってはオープンにしてくれてもいいのですが。 実家に今回の事がばれてから、僕はよく実家に遊びに行きます、当然子供の事などを聞かれますが、最近は笑いながら答えられるようになりました。別居を隠していた頃に比べると雲泥の差であり、気持ちが楽です。 画面左にフリーメールアドレスを公開してますが、一日に30前後の広告メールが入り、ほっておくと凄い数にになり一斉に削除してしまうのですが、今回誤って普通のメールまで消してしまいました。出来るだけ返信してたのですが、一部の方のは出来なくなりました、大変申し訳ございませんでした。 毎年のように、年末近くになると1年なんてあっという間だと感じてましたが、この1年だけは僕の生涯の中で一番短かったような気がします。 悲しく辛かった1月30日。このときの事は4月16日、17日に書いたのですが、今回読み返してみて、当時自分自身がかなりきつかったのだなと思います。今まであまりコメント以外読み返しはしなかったのですが、読み返せるようになったのは時間が過ぎたのと、多くのみなさんの励ましのおかげだと思ってます。 以前は常に一緒にいた家族。別居してから今日まで妻と会ったのはパソコントラブルの時、車の処分の時、4人で食事をした時の計3回 ときに、悲しくなり、寂しくなり、前向きになろうとしながらも挫折したりの今日まででした。間もなく書類上での家族は終わりにしなければなりません。ただみなさんのことば通り、僕は子供の父であり、今後例え遠くに行ってしまったとしても父として見守って、協力できる事はしてあげようと思ってます。 ブログを始めてから途中まで、コメントが入ればひとつひとつに返信してました、ところが最近はひとまとめに「ありがとうございます」で終わらせてます。それは面倒とかではなく、重複した答えを書いてしまう事もあると思ったので控えていますのでお許しください。 話は飛びますが、長女は、ほぼふた月に一度くらいのペースで泊まりきてくれます(残念ながら次女はまだ泊まってません) 最近は、僕も特に気を使わずに泊まりにきたからといってどこかにつれていこうとは考えずにのんびりとビデオみたり、ちょっと買い物に一緒に出たりするような感じでいます。 いつものように泊まりに来た翌日の夜、長女を家の前まで送り届けます、しかし慣れでしょう、最初の頃のようにお互いその場で涙が出るようなことはありません。 ついさっきまでそこに長女がのんびりとテレビを見ていた。僕が食事の洗い物をしていても隣の部屋でテレビを見ながら笑っている。 そして長女の笑い声をききながら、自然と鼻歌まじりに安心しながら皿を洗っている自分がいた、終われば近くに座り、一緒にテレビを見ながら同じようなところで2人で笑っている楽しいひと時。 僕が弱い男と名づけているのは性格的に引きづるタイプだからです、多くの方は「男のくせにウジウジするな、」と思うかもしれません、 ただ、子供に対する気持ちだけは当分かわれそうもありません。子供に関しての気持ちは、時が解決するまで時間がかかりそうです。 みなさんご存知の「のだめカンタービレ」というドラマ、僕はみてなかったのですが、先日ある方からコミックを頂き、通勤時間暇なので読んでみたら、・・・はまってしまいました、いい年して。暇な時、全部ドラマも見ようと思ってますがyou tube貼っておきます ブログ始めてもうすぐ1年になります。当時はみなさんに読んでもらおうと必死に毎日更新してました、ランキングもべたべた沢山貼りました(今も貼ってますが) あの頃と変わった事、特に成長はありませんが、家族と離れてみて、自分の欠点や至らなかった事などがよく見えて来るようになりました。それも人間としての成長になるのかな?・・・ |